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俺とRaymond Pettibon (Talking with ex.Bf)



小学生の時からの友人を中心にスタートしたスケートチームEl Burrito’s Skate Amigos。

結成は確か2001年くらい?Tシャツとかステッカーとそのグッズなんかが作りたくてとりあえずチームっぽい感じ。

当時アメリカで「Chomp On This」いう、アメリカの第一線で活躍しているスケートフォトグラファーやビデオグラファーとか、プロスケーターではない裏方の人たちの滑りを撮影したビデオがリリース。滑りは素人っぽいのに(上手い人も!)真剣にビデオ撮りしているのが面白くて、その真似をして撮影したり。そのフッテージってまだどこかに残っているのかな?そしてその当時、アミーゴスメンバーの酒井大明、添田陽、森本雑感、岡くんがハードコアバンドBREAKfASTをやっていたりして。リハーサルが終わってスケボーしに行って、本番みたいなことをよくやってた。

“El Burrito’s Skate Amigos”のメインで使用しているロゴを描いてくれたのはアメリカのアーティストであるRaymond Pettibon。現代アートの代表的なアーティスト。ハードコアバンド Black Flagのロゴやフライヤー、キム・ゴードン率いるバンドSonic Youthの「Goo」のアルバムジャケットやFoo Fighters もジャケットの絵を彼に描いてもらっている。ファッション業界でもSupreme コムデギャルソン、クリスチャンディオールもコラボレーションしている。ロサンゼルスの現代美術館 MOCAミュージアムやニューヨークのNEW Museum。日本でもオペラシティのギャラリーで展示した。そんなレイモンド・ペティボン氏が、もしかしたら幻かも知れない我々のスケートチームの為にロゴを制作してくれたいきさつを当時を振り返ってみる。元BREAKfASTのギター担当、酒井大明、ドラム担当の添田陽。それと当時ペティボンにロゴをお願いした筆者、竹村卓で当時のことを振り返ってみます。

元BREAKfASTのギター、酒井大明(左)ドラム、添田陽(右)


添田陽(以後、陽):オペラシティで展示をした時だよね?いつだっけ?


酒井大明(以後、大明):2002年。日韓ワールドカップが開催された年だよ。決勝戦の日に頼みに行ったんだ。陽は来てないから覚えてないんだよ。笑


陽:ええっ!俺って行ってな?


大明:ペティボンがオペラシティのギャラリーで個展をやることを知ってさ、ちょうど俺たちも新しいアルバムを作っているところで、それならジャケットの絵を描いてもらうぜ。って話してたら陽は「いや、ムリっしょ」って言って来なかったじゃん。だから英語を話せるサンフランシスコ帰りの友人、太郎を連れてオペラシティに乗り込んだんだよね。もちろんアポなしで行ったから、ペティボンはいなくてさ。


竹村卓(以後、卓):そもそもペティボンに描いてもらおうなんて、どうしてそんな無謀なことを思いついたの?

陽:俺は高校生の時、「Sonic Youth」のGooのアルバムジャケでペティボンを知ったんだよね。


大明:我々の時代の人たちはだいたい「Sonic Youth」だよね。その当時、俺はまだハードコアをちゃんと聴いていなかったから。こういう絵を描く人なんだな、くらいしか知らなかった。


卓:その時はまだ「Black Flag」は聴いていなかったんだ?


大明、聴いていなかったな、その時ハードコアは初期の「Beastie Boys」くらいしか聴いてなかったから。


陽:俺も聴いていなかったな、ぎりぎり「Seven Seconds」聴いていたくらいだったかな。


卓:「Sonic Youth」で作品を知って、「Black Flag」は聴いていなくて。BREAKfAST の “B” と”F”は「Black Flag」から取ったんでしょ?「Black Flag」のジャケが Raymond Pettionの作品だということはいつ頃知ったの?


陽:ハタチくらいの時かな、俺たちが「BREAKfAST」の前にやっていた「OAC 」とういうバンドで活動をしていた時だね。


大明:俺は18歳くらいだったかな。ニルバーナやロリンズ・バンドの流れでブラック・フラッグ聴いて。それで知ったんじゃないかな?ハタチくらいの時は陽はもうシアトルから帰国していたよね?


卓:シアトル時代の陽はニルバーナだったね。カートコバーンになりきっていたよね。あっ、カート・コヴェインだね。


大明:だったよね、ぼろいカーディガン着て、カラコン入れて、ボサッと長髪でタトゥーまでして帰国してきたのを覚えてる。


陽:遠い昔だな~。笑


卓:BREAKfAST の時から「Black Flag」を意識し始めたの?


陽:そうだね、ブラックフラッグというより彼らが所属していたレコードレーベル「SST」を意識していたね。MINUTEMENの音楽性であり、ブラックフラッグのひねくれた実験的な音楽性というのをね。


卓:「SST」はペティボンのお兄さん、Gregがやっていたんだよね。


陽:そうそう、Greg Ginnだね。ブラックフラッグのギターでもあったね。ペティボンに会いに行ったとき「SST」のオフィスがあったところに連れて行ってくれたよね。看板だけ残っていてさ。連れて行ってくれたくせにペティボンはクルマから降りなかった。近づくのを嫌がっていたよね。

BREAKfAST ファーストアルバム Vertigo ( 眩暈 )2002 625 Thrashcore


大明:お兄ちゃんと仲が悪いの?


陽:仲が悪いというか、お兄ちゃんを異常に恐れていたよ。何でだろう?


卓:なんかそんな感じだったね。怖かったのかなー?話を戻すけど、BREAKfASTのファーストアルバム「眩暈」のジャケをペティボンに頼もうと思ったのはどうしてだったの?


陽:だからさ、直談判なんてムリだって言ったんだよね。でも大明と森本がダメ元で頼んでみよう、って言ってさ。俺は消極的だったから。


大明:それで思い切ってオペラシティに行ったんだけどペティボンはいなくて。だからその場で手紙を書いてギャラリーにいた係の人にBfの7インチレコードと一緒に置いていったんだよね。日本のハードコアバンドをやっていて今度初めてアルバムを出すので是非大好きなペティボンにジャケの絵を描いてもらいたい。って。


陽:そう、そしたら後日オペラシティのギャラリーの人から「ペティボン様からお手紙を預かっております」という電話がかかってきてさ。それを取りに行ったら超軽いノリで「やるよー」的なことが書いてあって。電話番号が書いてあったね。ちっちゃいメモだったなー。


大明:そのメモは取っておいてないの?


陽:ただのメモ書きだよ、そんなの捨てちゃったよ。


大明:直筆のメモだろ、そういうのはとっておくもんだろ!そういうところだぞ、陽は!


陽:いやー、そこまで考えてなかったな。手紙にやるよ!って書いてあってさ、家の電話番号らしきモノが書いてあってさ。まあ2002年だからね、家電だよね。それでカリフォルニアの時間で夜9時くらいを狙って電話したんだよね。そしたらお母さんらしき人が電話に出ちゃってさ。実家の電話番号でびっくりしたよ。「ウチの息子ねー、なかなか帰ってこないのよ、どこにいるのかしらね? 知ってる?」って言っててさ。いい大人が実家暮らしかよ!って。それから毎日電話するんだけど、お母さんが毎回電話に出てさ。お母さんと電話友だちみたいになっちゃったんだよね。「お宅の息子さんはすごいんですよ!」とか言ったりして。「そうなのかしら~?」なんて。お母さんと長電話するようになってさ。


大明:結局なかなか繋がらなくて、それでアメリカでBfのアルバムを出したレコード会社をやっているマックスにもお願いして連絡してもらってやっと繋がったんだよね。


陽:そうそう、俺は結局お母さんと長電話して仲良くなっただけだった…。笑

BREAKfAST セカンドアルバム 3rd & ARMY ジャケット裏面 2005 625 Thrashcore


大明:でも初めにお母さんのハートをがっつりつかんでおけばペティボンも安心だよね!笑


陽:しばらくしたら作品のコピーが大量に送られてきたんだよね。


大明:そうそう、それでファーストアルバムのジャケットをペティボンの作品で作ることができたんだ。それから10年くらい後にさ、ブラックフラッグ、サークルジャークスをやっていたキース・モリスのバンド「OFF」で俺たちと同じ作品の絵をブックレットの中で使っていてさ。でも向こうは元ブラックフラッグのメンバーだから、なにもいえねぇ!って。びっくりしたけど。


陽:そうそう、その後、キース・モリスにそのこと話したんだよね。そしたら驚いて「そんなことねえ!」って逆ギレされてさ。まあ、おかしな人だからさ。ずっと貧乏揺すりしてるんだよね。とにかく作品を使わせてもらうことができて良かったよね。その後にペティボンに連絡して、作品頼んでおいてアレなんだけど、お金がなくてギャラが払えないって正直に伝えたんだよね。そしたらちょうどその時、フーファイターズからアルバムのジャケットの作品依頼があった時で、そっちから大量のギャラもらえるからぜんぜんいいよー、みたいな返事くれたんだよね。ちょっとホッとしてさ。それで何かお礼をしないと!と思って、それなら直接ペティボンのところに行ってお礼を言おう。ってことにしたんだよ。


卓:そうだったね。俺は別の仕事でロサンゼルスに行く用事があってさ。陽と待ち合わせしてペティボンのアトリエに行ったね。何度も電話をかけてやっとペティボンと話すことができてさ。アポも取れて。


陽:それで当時ロングビーチにあった彼のアトリエを訪れて。約束の時間に行ってドアをノックしたけれどやっぱり不在でさ。昼間の暑いなか2時間くらい待ったよね。


卓:すごい待たされたね。まあ覚悟はしていたけれど。そしたらどこからか、ふらーっと歩いてきたよね。


陽:ね、本当にただのデカイおじさんでさ、当たり前なんだけど。そしたら俺たちのことをチラッっと見たと思ったらそのまま向かいにあるバーに入っていった。卓とあれ、ペティボンだよ!って。思い切ってバーに入って酒を飲んでるペティボンらしき人に声をかけたんだよね。そしたらいきなり、「このバーのジュークボックスすごいんだぜ、見てきなよ」って言われて。見たらクラッシュとかラモーンズとかのパンクばっかりの選曲でさ。こんなオールドアメリカンな感じのバーなのにパンクなジュークボックスだね!ってペティボンに話したら、そうなんだよ、でもジュークボックスこわれているんだけどね!っていきなりアメリカンジョークかましてきたのが出会いだったなー。


卓:それでやっとアトリエに辿りついたんだよね。ドアを開けてくれて部屋に入ろうとしたら床一面にペティボンの作品が散らばっていて驚いた。本当に足の置き場がないくらい。ペティボンはお構いなしに自分の作品の上を土足で歩いて入っていってそれもびびったね。「気にせずそのままいいよ」って言うんだけど、そんなのムリだったよね。オペラシティのギャラリーの壁に飾られていた作品を見たあとに、その作品を土足でって踏み絵状態。本当に衝撃だった。

当時ロングビーチにあったRaymond Pettibonのアトリエ


陽:でもそのあと踏んだよね。だって踏まないと中に入れないんだもん。よく見ると作品にたくさん足跡が付いてて。飾る前に誰かが綺麗にするんだろうね。でも踏んで歩いているとすぐになれちゃったよね。何か飲む?って言われて冷蔵庫見たらヴォッカしか入ってなかったのにも驚いたね。とにかく作品は床に散らばっているから床ばかり見ているんだけど作品にまざってスパイスガールズのCDが落ちててさ。「俺、彼女と付き合っているんだよ。あとジャスティンティンバーレークとも付き合ってた」とか急に言いだして。もう分けわからなくてさ、とにかくランチに行こうって誘われたね。


卓:近所に「ロスコース」っていうフライドチキンとワッフルの店かブリトー屋があってさ、どっちかにしようってことになった時、すごいブラックジョーク飛ばしてまたびびったね。


陽:はじめ冗談なのか、本気で話しているのかわからなくて、超怖かった。結局ブリトー食べたね。話していると途中で自分で笑い出しちゃってジョークだったんだ、って気がついてホッとしたよ。


陽:ペティボンのところに行くのにさ、お土産どうしようか?ってことになって。アメコミのキャラクターを参考に絵を描くことが多いから、日本の漫画を持っていったんだよね。


卓:そうそう、サザエさん、こち亀、手塚治虫、あとちょっとH系なまいっちんぐマチコ先生も混ぜてね。


陽:BOOK OFFで10冊くらい買った。


卓:いつかはペティボンの作品にサザエさんが出てきたらおもしろくない!とか言ってさ。


陽:渡したらパラパラめくってあまりピンときていない感じで。喜んでないのかな?思って。そしてランチに行こうってなった時に後ろのポケットにサザエさんをねじ込んだんだよね。サザエさんヒットしました!って。その時にさ、美味しんぼの絵を描いてるって言ってたよね。


卓:そうそうお皿の上に魚が乗っている作品。何かの作品集で見たよ。話し戻るけど、踏みつけるほど作品が転がっているから一枚くらい作品売ってもらえるんじゃない?って話してね。


陽:そうそう、そしたらギャラリーの関係で売ることはできないけれど漫画とトレードしよう。って言ってくれて。


大明:えっ!サザエさんとペティボンの絵をトレード!?サザエさんってすごいね!


卓:陽が俺も絵を描いているみたいなこと話して、最近はどんな作品を描いているの?ってペティボンに質問されて。陽がお金がないから画材が買えなくて絵を描いていないって話したら、俺が画材を買ってあげる。って言いだして。


陽:ブリトー食べ終わってからSSTのオフィスがあった場所を見にいって。その近くにある画材屋へ行ったんだよね。そしたら俺がどんな絵を描いているのか知らないのに絵具をどんどんカゴに入れていくんだよね。「おまえはこの色だな、これも好きだろ、筆はこれが描きやすい」とかブツブツ言いながら。だから俺は自分で選んでいなくて。100ドル分以上の画材を買ってくれたんだよね。これで絵を描きなよ、って渡してくれて超感動した。それでさ、その後アトリエに戻って、こんなに高い画材を使っていたら長続きしないよ、って彼が話し始めて。これとこれでいいんじゃない?ってアトリエの床に落ちていた使いかけの墨汁と筆をまた大量にくれたんだよね。


卓:あーっ、だからあの後から陽の作品がペティボンっぽくなったのかー?


陽:いやいや、そのとき本人にも言ったんだよ。これじゃペティボンっぽくなっちゃうよ?って。笑。


大明:その墨汁とペンは取ってあるの?


陽:墨汁は使っちゃったけど、筆は今でもとってあるよ。


大明:墨汁が入っていた容器は?


陽:そんなの捨てちゃったよ。だって100円ショップで売っているような墨汁だよ。


大明:それでもさ、ペティボン使っていて、それをもらった特別なヤツじゃん。俺ならとっておくな。陽はすごいな。


卓:ペティボンってすごくサポーティブだったね。オレたちスケボーするって言ったらじゃあスケボー屋行こう。買ってあげるよ、って言い出して。さすがにそれは断ったけどね。


陽:スタジオにしばらくいてさ、それからハモサビーチにある実家に送って欲しいって言い出したんだよね。ペティボンはクルマを持っていなくてさ。道中トイレに行きたいって言いだして、近くにバーがあったらそこのトイレ借りてくるって入っていったんだよね。そしたら全然出てこなくてさ。


卓:そうそう、ま、さ、か!と思ってバーに入ったら普通にカウンターに座ってグラス傾けてる後ろ姿が見えてさ。こいつ!マジかっ!ってびびった。自由すぎる!って。オレたちに気がついた彼は「一緒に飲む?」だもんね。もう仕方ないから一緒に座ったよね。


大明:ハンパないね!


陽:その後に実家に着いてさ、またびっくりしたよね。家に入ると犬が2匹居てさ、そのうちの一匹がすごい吠えまくってさ。吠えるとペティボンが怒りだして、そのやりとりが最高におかしかったね。俺もそこでやっと電話友だちのお母さんと会えて感動したよ。


卓:実家にブラッグフラッグの当時のフライヤーとかシルクスクリーンの作品が大量に置いてあって。それを渡してくれたんだよね。興奮して見ててさ、気がついたらいつの間にかペティボンがいなくなってて。そしたらなぜか水着のパンツ姿でテレビでエンジェルスの野球の試合を見てて。


陽:そうそう、なぜか俺と卓の分の水着も持っていて、これからサーフィン行こうよ、って言われて。もう暗いし断ったけど。そしたら姪っ子が遊びに来てみんなでご飯を食べに行くことになった。

ペティボンの実家にて部屋中にある作品をチェックしまくる陽。後ろポケットにはペティボンにもらった筆


卓:ご飯のあとも、「これからどうしようか?飲みにでも行く?」って言われたけれどもう相当遅い時間だし、断って別れたんだけれど。ペティボンとの一日はなんだか猫になったような気分だった。時間の流れがとても不思議だったよね。予定が何もなくてすべて行き当たりばったりで。飲みたい時に飲んで、食べたいときに食べて、眠くなったらそこで寝るみたいな感じ。それにペティボンの話も本当なのか冗談なのか?わからない時が多々あったし。急に独り言を言い出して怒ってみたり。自分のくだらないジョークに耐えられなくて笑い出したり。


陽:ほんとに不思議な時間だったな。


大明:そうだったんだ。それでまたしばらくしてセカンドアルバムを作るってなって、またせっかくだからペティボンにジャケをお願いしたいね。ってなったんだよね。


卓:ペティボンとの時間もすごく楽しくてさ、調子に乗ってまたペティボンにお願いしちゃおうよ!ってなったね。どうせならメンバーの似顔絵を描いてもらったらいいんじゃない?ってなって。太呂に写真撮ってもらって、その写真を持ってまた俺がペティボンのスタジオに行ったんだよね。その場で描いてもらおうと思っていて。そうじゃないといつ仕上げてくれるかわからなくなるし。お願いしたら「いいよ」って言ってくれて。アトリエにあったプロジェクターで下から光をあてて、その上に紙を置いて鉛筆で下描きしたんだよね。もう興味津々でさ。太呂は4x5のポラで写真撮ってるから絵もそのサイズでね。

プロジェクターの上で写真を透かしトレースするペティボン


陽:ほんとだ、改めてみると岡君の似顔絵ひどいね。片目つむってるみたいに見えるし。

大明:俺だってこんなにおでこにシワないよ。


卓:巨匠に描いてもらって文句言いすぎ!初めての時もそうだったけど、約束しても簡単に会える人じゃないから。アーロン・ローズもペティボンに用事があるときは直接アトリエを訪れて、その前で待ち伏せするって言ってたよ。アーロンは近いからいいけど、このために日本から来てる俺はそうはいかないからね。それにその場で描いてもらわないとって思っていたし。そしたら1人10分くらいでチャチャっと描いていたよ。あのときのミッションは似顔絵と”BREAKfAST”ってバンド名を書いてもらうのと、メンバーのクレジットだったね。そのときにEl Burrito’s Skate Amigosのロゴも書いてもらったんだよね。どうしてか知らないけど絵を描くときにそのへんに置いてある筆を咥えるんだよね。その筆はいつ使うのかな?って見ていたけど、咥えたまま使わずだった。笑。アレは絵描きっぽさを出すスタイルだね。


大明:いやー。巨匠だからね…!


卓:アルバムのジャケを描いてもらったときはまだタイトルが決まっていなかったんだよね。俺は、その後帰国してまたすぐにリラックスのArt for Allっていうページで太呂とペティボンの取材に行ってるんだよね。その取材の前にはアルバムタイトルも決まっていて。そのときに描いてもらっているんだよ。あとクレジットも最初森本は本名で書いてもらっていたんだけど、やっぱり名前は雑感がいいです。ってわがまま言うからさ。それも書き直してもらっているの。だから森本のクレジットだけ文字のスタイルが違うでしょ。

当時のメンバー左から酒井大明、森本雑感、岡亨、添田陽


大明:へー、そうだったんだ。気がつかなかったけど確かに違うね。


卓:3rd & ARMYっていうタイトルは誰が決めたの?


陽:確か森本だよ。サンフランシスコのスケートスポットの名前。できたときはNew New Spotって呼ばれていたところだよね。アルバムのライナーに載っている写真は全部太呂が撮影してくれた写真だよね。


大明:アルバムのデザインは藤川君だったね。


陽:えっ!そうだったの?ジャケの絵はペティボンで写真が太呂でデザインが藤川君?!??超贅沢じゃん!

大明:今頃気がついたの?まったく。藤川(コウ)君は当時LOVE PSYCHEDELICO とかさ、ピチカートファイブとかのジャケやっててすごい人なんだからさ。


卓:でもこれさ、なんかはっぴいえんど風…?


大明:いや。ズートルビ。せめてレットイットビーって言ってよ。


陽:おっ、大きく出たね!


大明:それでビートルズだからさ。さらに贅沢だね!笑。


卓:はいはい…。また初めの質問に戻るど、どうしてペティボンに描いてもらうなんて無謀なことをしたの?


大明:本当に憧れていたんだよ、最高じゃん。こんなにいろいろと描いてもらっているバンドは世界的に見ても他に居ないんじゃないかな?しかも似顔絵も描いてもらっているしね。知っている範囲だと、ブラッグフラッグ、フーファイターズ、ソニックユース、そして我らブレックファーストという並びになってしまってすみません。。あっ、そうだ、マイクワットが日本のバンドとスプリットを出していて、そのジャケがペティボンだったかな。インスタでペティボンが描いたブラックフラッグのフライヤーをライブがおこなわれた同じ日ポストしている人がいるんだよね。超マニアだね。


卓:ハモサビーチの実家に当時物の貴重なフライヤーがたくさんあってさ。ちょっと黄ばんじゃってるのとか。それを大量にくれたんだよね。


陽:俺ももらったんだけどなくなっちゃったんだよなー。どこにいっちゃったんだろう?


大明:えーっなくしちゃったの?陽は本当に陽だな。


卓:アレ?このフライヤー。ペティボンのクレジット最後に”e”があるね。いまはないよね。初期はペティーボーンって感じだったのかな?


陽:へーなるほどー。このフライヤーに載っているバンドは全然知らないなー。


大明:これはバンド名じゃないよ。ツアースケジュールで街の名前じゃん!ツーソン、ニューメキシコ、ダラス、オースチン、ヒューストン、ニューオリンズ、バトンルージュ、シカゴ、ミルウォーキー、ニューヨーク。


卓:これはアメリカの南の方を西から東に向かっていったんだね。そして一気にシカゴへ北上してる。バンに機材詰めこんでロードトリップしたんだね。


大明:初期の頃はホンコンカフェとフリートウッドってところでよくやっているよね。おっ、ソーシャルディストーション!フライヤーに番号が記載されているね。これは7番目に作られたフライヤーか。


卓:ほんとだ。このときはまだブラックフラッグの文字が手書きでまたあのフォントじゃないね。


大明:ほんとだロゴが作られる前だ。しかもバーもないね。ナーバスブレークダウンの最初のプレス盤もバーがなくてバンド名が手書きだったんだよね。だからこれもその7インチが出たころのフライヤーなんじゃないかな?この対バンのDOAっていうカナダのバンドなんだけど、このドラムが後にブラックフラッグに入るんだよね。アドミッションが4ドルかー。前売りだと2ドル!安いなー。なんか聞いた話だとペティボンが描いた絵にお兄ちゃんのグレッグが勝手に色を付けてたらしいよ。


陽:そうらしいよね、聞いたことある。当時ペティボンはカラーの作品は描いてなかったみたいだから。


卓:大明は本当にマニアックだな。


大明:このインタビューってだらだら話しているけれどまとまるのかな?


陽:ペティボンね…。マークゴンザレスもそうだったけれどさ、スケートアート、ストリートアートってあるじゃん…。


大明:おっと、陽がまとめに入ってきたぞ!


陽:笑。エドテンプルトンとかもさ、ストリートアート、パンクアート、それの先駆者的存在だよね。そういう時代パンクからアートを生み出した第一人者だと思うだよね。そういう意味でもペティボンの存在は大きいよね、大明?


大明:もう俺に振ってきたの?早いな…。


卓:アートとハードコア/パンクとをつなげた人でもあるんじゃない?結局アルバムを出すことは必ずジャケがあったから、当時は。それでライブをすればフライヤーが必要だし。そうするとビジュアルが重要になる。パンクとかスケートとかもそうでさ。写真撮ったりビデオを作ったり、デッキを出したり。デッキにはグラフィックが必要だしね。それをやっていることでいろいろな表現に繋がるんだよね。しかもみんな自分でやるから、DIYでさ。それを始めた人のひとりって感じだよね、ペティボンは。


大明:音楽があるところにはね、必ず絵が必要なんだよね。


陽:俺も絵を描いていて、そういうところには本当に助かってることはいっぱいある…。


卓:陽ちゃん、これからなんかかっこいいこと言おうとしてるでしょ?絵に助けられた的な事を語り始める陽ちゃん。またまた最初の質問にもどるけどなんでペティボンに描いてもらおうと思ったの?


大明:やっぱりアレなのよ。魅力的だったのよね。絵の題材にしても日本とは違う。アメリカの狂気みたいなのを感じるんだよね。それもウェットな感じではなくて、もっとドライな。ドライなアメリカの狂気なんだよ。それが魅力的なんだよね。


卓:ペティボンの作品ってダークな物事をコミカルに仕立てた作品も多いしね。それがなんだかすごく良かったりする。


大明:漫画チックに仕上げるからそれがドライなイメージになるんじゃないかな。あとさ、変な映画も作ったりしているよね。


陽:さむいやつ、キムゴードンとかもでていてみんな台詞が棒読みのやつね。ペティボンがやっていることを見ていると、俺でもできるんじゃないかな?って思うんだよね。ある意味、人生において自信をくれる人かな。こんなにだめでいいんだって。


大明:ペティボンって今ではすごい画家で売れているけれど、売れていなかったとしても変わらず絵を描いているんだろうな。


卓:たぶん変わらないと思う。誰に対しても接し方がフラットでさ。本当に絵を描くのが好きなんだよね。絵ばかり描いているよ。あと野球観戦も好きだね。あっ、お酒も好きだな。ハリウッドの土産屋で売っている”CALIFORNIA”って書いてるTシャツ着て、ターゲットで売っている一番安そうな靴履いてたしね。しかもよく見たら左右で違う靴だったし…。笑。今はニューヨークに住んで家族ができたり生活環境が変わったからどうなんだろう?でも絵を描くのが好きという本質的なところは変わっていない気がするな。

この直後、抱えていた作品の一枚が風に吹かれて飛んでいってしまう。が、そのまま拾いにはいかなかった…

ちょっと!左右の靴、違いますよっ!


陽:そうだね、そういう事を含めてペティボンの生き方には勇気を持たせてくれる。


大明:陽にとっては人生の少し先を歩くサンプルの人って感じなのかね?俺にとってペティボンの魅力は単純に彼の作品なんだよね。彼の絵が大好きなんだ。陽は絵も描くし、バンドもやっているから影響の受け方が俺とは違うよね。俺はあと個人的に会っていないしさ。絵から受ける影響だけだから。それでもすごく魅力的なんだよね。


卓:俺は本人に会ったという体験が大きいかな。それまでブラックフラッグも知っていたし、絵も知っていたけれど。大明ほどは詳しくないけれどね。絵のイメージで会いに行ってそしたら、やっぱり彼自身のパーソナリティーが強烈で。それなりに覚悟はしていたけれど、その想像を遙かに超えたし、一緒にいた時間がすごく独特だった。1999年だったかな。ロサンゼルスのMOCAでペティボンの個展を見にいって壁に直接描かれた超でかい機関車の絵の迫力に圧倒されたよ。あと、作品点数の多さにもすごい勢いを感じだ。そのときは確かまだ波の作品はなかった。そんな人と一緒に過ごして、トリップした感じだね。ほんとに今何時かわからなくなるみたいな。それが印象的だった。話も本気なのか冗談なのかわからないあれも。


陽:そうだね、ゴンズもそうだけど人に魅力を感じたね。


卓:アメリカだからああいう人がいるのかもって思った。誤解があるといけないけど、アメリカってああいう人の存在が生かされている国なのかなって。基本的にオレたちってアメリカが好きじゃん。でもアメリカの国自体が好きなわけではなくて。アメリカで生まれた物事が好きなわけで。アメリカって傲慢で、戦争もしているしね。でもその国に好きなところを考えた時に、こういう人でもちゃんと生かされてるんだな、って。こういう人もちゃんと認めれくれるところがアメリカのいいところ。オレたちが好きなアメリカだなって。もちろん日本でもよその国でもそういう人居ると思うけれど、アメリカのこういう人の振り切り度ってすごいよね。


陽:またペティボン会いたいね。そしてもう一度お礼が言いたいな。


大明:俺も会ってみたい。絵がすごく好きだから本人がどういう人なのか知りたいね。


text & photos : Taku Takemura







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