今までスケートボードを真剣にやったことなんてないよ。
楽しいスケートボードばかりやっていたんだ。
カリフォルニア州、ロングビーチ出身。生まれも育ちもサザンカリフォルニア。今は56歳。最近は日々をカウントする毎日さ。あと何回夏が来るんだろうってね。冗談だよ。スケートボードを始めたのは66年くらいだったな。そしてサーフィンを始めたのが70年。本当の意味でスケートボーダーになったのはサーフィンと出会ったあとのこと。今までスケートボードを真剣にやったことなんて一度もないね。笑。初めてスポンサーが付いたのが77年だったな。「ウェイン・ブラウン・スケートボード」というショップがサポートしてくれたんだ。サーファーマガジンの広告で俺がハンドスタンドをやっている写真が掲載されたんだけれど、本当はハンドスタンドなんてできなかったんだ。兄貴が撮影したんだけれど、ちょうど良いタイミングでシャッターを切っただけの写真だったんだ。だからそのあとはすぐに転んでいたよ。ジェイ・アダムスから教えてもらった写真を撮られるときのテクニックだよ。笑。
どこにでも横になるオルソン
俺の兄貴は特にアーティスティックな人なんだ。小さなときは彼のやることをまねしてばかりいた。あるとき兄貴と一緒に手作りでスケートボードを作ったこともあったんだ。当時スポンサーだったウェイン・ブラウンからブランクのデッキをもらってきて、1フットくらい幅のあるスケートボードを作ったんだ。膝で立ってパドリングをしてスピードがのったところで立ち上がるんだ。サーフィンみたいにね。今ではワイドなデッキがあるけれど、当時はこれほど幅のあるスケートボードはなかったからね。当時はみんなでニーボードをしたりデッキの上に這いつくばって滑ったり、本当に自由だった。
スケートボードに横向き座ってふたりで向かい合ってお互いの腕を持って滑る遊びがあるんだ。これが最高に楽しかった。今のキッズたちはこういう楽しい滑りを知らずにいるんだからもったいないね。始めた当時はクレイやメタル製のウィールを使ったスケートボードだったんだけれど、ウレタン製のウィールが誕生してベアリングも性能が上がりスケーターたちのテクニックも飛躍的に向上していったんだ。エクイップメントとテクニックがグッと上がっていった良い時代を経験した。思い出した! デイビッド・ノエヴェというサーファーがいたんだよ。ロックスターみたいなサーファーで、ロールスロイスでハンティントンビーチに乗りつけるんだ。サーフボードを持つアシスタントまで連れてて。タバコをくわえたまま海に入るんだ。良い波が来たところでドロップインしてチューブの中へ、それから出てきてもタバコの火は付いたままだった。タバコどころか髪の毛すら濡れていないんだ。サーファーのモハメドアリかブルースリーだよな。アレ? 俺、なんでこんな話しているんだっけ?
プールに着いても携帯ばかりいじってなかなか滑らないオルソン。いざ滑るとなるとみんなが注目する。ライディング、人柄を含め滑彼の滑りは魅力的。
Steve Olson
ロングビーチ出身。Pat Ngoho、Lance Mountainと共にアートショー「LOVE & GUTS」を主催するメンバーのひとり。ハイスピードなカービングがかっこいい。
courtesy of everybody from LOVE & GUTS, Jack Michi Sone, Seiichiro Shirahashi, KB and 16(Sixteen)
この記事はBackyard Poolの本からの抜粋です。以下のリンクから本を購入することができます。
”Backyard Pool”
text : Taku Takemura
Photo : Taro Hirano
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