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山口幸士 Koji Yamaguchi Vol.2

artist / painter


Photo: Taro Hirano


ーそうだったんだね。あの時は写真で撮影してその写真を見て描くのではなく、スポットに座り込んでずっと描いていたんでしょ?


Y:そうです。同じスポットに大体4日間くらい座って描いていました。現場の空気感も表したいって思って。現地に座り込んで描いたらそれが出せるかなって思ったんです。周辺に落ちているゴミを拾って作品に貼り付けたり。その場の雰囲気を作品に取り込みたかったんです。


ー初めてサンフランシスコでは何カ所くらいの絵を描いたの?


Y:7カ所くらいですね。ウォーレンバーグ、3rd. & Army、チャイナバンク、ピア7とか有名なスケートスポットばかり描きました。描いているとスケーターにもよく声をかけられました。何してるの?って。そうやって現地のスケーターと交流できるのも楽しかったんです。その頃から制作した作品をまとめたZINEを作るようになったんです。声をかけてくれたスケーターにそれを渡しました。英語が話せないのでそうやってコミュニケーションをとっていました。


ーサンフランシスコに行ってみて、日本で見た風景や、そうやって出会った人たちに違いはあった?


Y:そうですね、日本だと街中で絵を描いていても話しかけられることはあまりないんですが、アメリカだとみんな声をかけてくれました。スケーターじゃなくても近所を散歩しているおばちゃんとかも。接し方がとても近いんです。僕が英語をしゃべれなくてもお構いなしでした。


ーサンフランシスコには合計何回くらい通ったの?


Y:4回です。初めはスポットの絵が描きたくて。2度目にはサンフランシスコにある有名なスケートショップのFTCに売り込みにも行きました。そして3度目に行ったときお店で展示をしてコラボデッキやTシャツも作ってもらえて。その後にもう一度行きました。


ーそのあとはニューヨークへ移住したんだよね?


Y:2015年にニューヨークへ越しました。30歳も超えていて、海外に住んでやってみたかったんです。観光だとビザの関係で3ヶ月しか滞在できないじゃないですか。長期のビザで行きたいなと思って。それまでに10年以上のキャリアがあったので、それまで描きためてきた作品をポートフォリオにまとめてアーティストビザを取得しました。英語も勉強したかったので学生ビザも考えたのですが、絵を描く時間が欲しかったので、やっぱり学生ビザではないなと思って。

いろいろ調べたらアーティストビザというのがあると知ったんです。ポートフォリオは量が多ければ多いほどいいと聞いて、これだけいろいろやってきています、ということをアピールしました。そのほかに推薦状が必要で、アメリカ人と日本国内の雑誌編集長とか7人くらいの人たちに書いてもらいました。それを移民局に申請して書類審査で通れば面接が受けられるんです。面接は英語だったので面接用の動画とか見て勉強しました。どんなことを聞かれるのかもシュミレーションして。



ーかなりしっかり準備して行ったんだね。ぜんぜん知らなかったな。


Y:面接はテストみたいな感じでしたね。許可が出たときは本当にうれしかったです。ニューヨークではアーティストとして活動している松山智一さんのところで働かせてもらいました。20代前半、蒲田にあったアーティストスタジオがあって、僕がそこを借りていたとき、建物のオーナー、「Upsetters Architects」の岡部さんが松山さんを紹介してくれたんです。それがきっかけで松山さんの制作や展示の手伝いをさせてもらったことがあったんです。彼はすでにニューヨークで活躍されているアーティストだったので。それから10年くらい経っていました。

ニューヨークでアシスタントとして働かせてもらえないか連絡したんです。そしてビザのスポンサーにもなってもらいました。なのでニューヨークに渡ってすぐに働くことができたんです。週4日、松山さんのスタジオで朝から晩まで働いて、仕事が終わってからと休みの日は自分の作品を制作していました。ニューヨークには3年住みました。僕、ニューヨークに行く直前に結婚したんです。アーティストビザですと家族も一緒にアメリカに住めるんです。僕がニューヨークへ移ってから1年半後くらいに奥さんもそのときやっていた仕事を辞めてアメリカに来てくれました。


ーニューヨークの生活はどうだった?


Y:32歳で移って35歳までの3年間、あっという間でした。ビザが3年有効だったので。ビザを更新しようと一度日本に戻って半年くらいスポンサーを探したのですが見つからなくて。それで日本でやろうと思ったんです。


ー松山さんはスポンサーにはなれなかったの?


Y:同じ人だと1年間だけ更新できるんです。でも松さんが年齢的に僕は自分のことを優先した方がいいと言ってくれて。スポンサーになれないから自分でやってごらんと言われました。


ーいい人たちと出会えたんだね。ニューヨークにいたときもスケートスポットの絵を描いていたの?


Y:そうですね、休みの日はスケボーに乗ってスポットに行って描いていました。1年半くらい経ったときに、スケボーでコケて靱帯を切ってしまったんです。これから奥さんがニューヨークに来るというタイミングで。松葉杖での生活になってしまい、松山さんのスタジオも手伝えなくなってしまって。もちろんスケボーもできなくて。大切な時に何やってんだろう。ってかなり落ち込みました。それからスケートスポットも描けなくなっちゃったんです。それがきっかけでスポットではない絵を描くようになりました。

ーそれからはどんな作品を描いていたの?


Y:バラの絵です。ニューヨークは州の花がバラなんです。なのでニューヨークの街中にはバラがよく咲いていたんですよね。スケボーも仕事もできないし、その時の自分にとって花を描くことがもとても癒やしだったんです。スケートスポットのあと、風景画を少し描いていたんです。

その風景の中にバラも入っていて。東京のソルトアンドペッパーというギャラリーで展示をすることになっていて、そのオーナーの大北さんがバラいいね、って言ってくれて。それを意識して街を見てみたらバラが多く咲いていることに気づいたんです。そのときは写真を見ながら描いていました。

そのあとはグラフィティを消した跡の壁を描きました。スケートスポットを描かなくなってから街を見たとき、グラフィティがすごく目に付いたんです。ニューヨークはグラフィティのメッカでもあるので。それとは逆に、グラフィティを消した跡もたくさんあって。僕はその消した跡の方が気になるようになって。古着が好きだったので、その消し跡がなんだかアメリカのキルトのようにも見えて。パッチワークキルトみたいな。それがグラフィティを消したあとの様子と重なったんです。それからその消した跡を描くようになりました。それをさらにパッチワークのようにつなげたら街の抽象的風景になるかなと思って。描いた絵をつなぎ合わせるようになりました。あのときはひたすら街を歩いて写真を撮影して、それをキャンバスに描いていました。街の断片をつなぎ合わせる感じでしたね。


ーいま描いている風景画の前にピンボケしていない風景画もあったんだね。

Y:そうなんです。スケートスポットではない風景画って自分にとってなんだろう?って思ったんです。そして実際に描いてきた場所は、自分が今までに体験してきたことが含まれているって思ったんです。スケートスポットってわかりやすいじゃないですか。そうそう、ニューヨークに住んでいるときに、地元のスケーターに街で有名なスポットってどこ?って聞いたことがあったんです。そしたら彼がどこだってスポットだよ。って答えたんです。スケーターはどこを滑っていてもそこがスポットになるんだって。僕は有名でわかりやすいところばかり描いていたんです。でもそのスケーターが言うようにスケーターが滑ればどこでもスポットなんだな、って思いました。

ースケートスポットではない風景もスケーター目線で見ていたってこと?


Y:今まで見てきたこと、やってきたことが作品に反映していると思っているので、それをあえて表さなくても背景に見えてくるんじゃないかなと思って。初めはスケートスポットから離れるのが怖かったんです。スケーターというアイデンティティもあったし、見てきてくれた人たちがスケートスポットとしてその作品を見てくれていたので。でもスケートスポットではない作品を描いてみたら、自分でもしっくりきました。でもやっぱり自分のアイデンティティを表現に取り入れたいなと思って。スケートの流れている風景というものが間接的に表現できるかなと思って風景をぼかし始めたんです。


ーぼけている絵がすごいオリジナルだなと思って。オリスタだなって。そういえば視力が悪いって言っていたけれど、こういう風に見えているの?


Y:いや、実際はもっとぼけて見えています。視力が0.03なんです。メガネ外すとスケボースポットもどこもわからないんですよね。風景すべてがフラットで、ただの色だけで見えるんです。物と物の境すらはっきりしていないんですよね。小津安二郎の本を読んで、アメリカは立って生活する文化だからアメリカの映画はカメラの位置が高いけれど、日本は正座の文化だったから低い位置から撮るって書いてあったんです。そういうカメラのアングルでも日本らしさを出せると言っていて、なるほどなって思ったんです。表面にそれがハッキリ出ていないくても自分が表現したいことが出せるんじゃないかなっと思って。今はそうやって作品を描いています。



プロフィール

山口幸士

神奈川県川崎市出身

街を遊び場とするスケートボードの柔軟な視点に強く影響を受け、

日常の風景や身近にあるオブジェクトをモチーフに

ペインティング、ドローイング、コラージュなど

さまざまな手法を用いて独特な視点に転換する。

2015年から3年間、ニューヨークでの活動を経て現在は東京を中心に活動している。 kojiyamaguchi.com



第三話につづく




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